八幡北村文書H-7「為念規定之事」(架蔵)
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翻刻
為レ念規定之事
一、今般御支(し)法(ほう)替りニ付、薬師堂畑
六畝廿六分五り(里)内、拾六分堂屋敷引、
残而六畝拾歩六り(里)、古堂壱ヶ所相添、代金
拾三円ニ(に)而(て)賣り渡し、三円廿五銭拂(払)ヒ下ケ(げ)
御上納金ニ上ル、新堂普請金四円九十五銭
ニ(に)而(て)出来仕、引残而四円八拾銭、又壱円五銭
酒代引残金三円七拾五銭、正ニ請取り、
十一人ニ割、三十四銭九毛割合仕候、為念
仍而如件、
明治九丙子年十一月 荒井清重(印)
同 平八
同 喜惣二(印)
同 嘉源二(印)
同 米八(印)
同 傳四郎(印)
同 吾作(印)
同 牛松(印)
同 末吉(印)
同 利八(印)
久保田武八殿
現代語訳
念のため規定のこと
一つ、今回、仕法(政治のやりかたカ)が変わったことで、薬師堂の畑の6畝26分5里の内、16分は堂屋敷として引き、残った分の6畝10分5里を、古堂一か所を添えて、代金13円で売り渡し、3円25銭を払い下げて上納金として上げた。新堂普請が金4円95銭でできて、引いた残りの4円80銭。また1円5銭を酒代として引き、残った金3円75銭をたしかに受け取り、11人で割って、(一人)34銭9毛として割り当てました。念のためにこの通りです。
大意
明治になってからの文書。共有で管理していたと思われる薬師堂の畑を売り払った代金の処理について定めたもの。畑と古い薬師堂を13円で売り、そこから上納金・新薬師堂普請の費用・寄合の酒代を引いた3円75銭を11人で山分けしている。宛名の久保田武八がどのような立場なのか、この文書だけでは不明。